コラム作成者 弁護士 渡邉千晃
人身傷害保険の一括払いと損益相殺について問題となった判例を解説します。
はじめに
本件は、交通事故によって傷害を受けた上告人が、加害車両の運転者である被上告人に対して、民法709条または自賠法3条に基づき、損害賠償請求を求める事案である。本件においては、上告人側の人身傷害保険会社が、本件交通事故によって生じた損害額について、自賠責保険から自賠法16条1項に基づく損害賠償額の支払いとして金員を受領していることから、上告人の被上告人に対する損害賠償請求権の額から、当該金員が全額控除されるのかが問題となった。
事件の概要
⑴ 日時
平成29年4月25日
⑵ 当事者
被害者:原告(以下、「X」という。)
加害者:被告(以下、「Y」という。)
⑶ 事故態様
信号機のない交差点において、X車両が直進中、Xから見て左方向の交差道路から侵入してきたY車両と側面衝突した。
⑷ 過失割合 X:3割 Y:7割
Y側に一時停止の規制があったこと、本件事故直前の両車両の速度は、X車両の方がY車両よりも速かったこと、X車両からY車両側への見通しは良かったことを総合して、X:Y=3:7とされた。
⑸ Xの損害
治療費・通院慰謝料・後遺障害慰謝料など、合計341万1398円。
⑹ Xと人身傷害保険会社の合意内容
ア 平成29年5月6日、Xは、Xの夫が加入する人身傷害保険会社(以下、「人傷社」という。)に対し、保険金の請求をした。その際、Xと人傷社は、以下の内容を確認した。
「人傷社がXに対して人身傷害保険金を支払った場合、Xは、当該支払額を限度として、Xが有する賠償義務者に対する損害賠償請求権及び自賠法に基づく損害賠償額の請求受領権を、人身傷害保険会社に移転する。」
イ 平成29年5月31日、人身傷害保険会社は、Xに対し、人傷社が自賠責保険を含めて保険金を一括して支払うこと、および、一括払いを利用せずにX自身で自賠責保険に直接請求することもできることを説明したところ、Xは、一括払いを承諾した。
ウ 平成30年5月24日、Xは、人傷社に対し、本件事故によるYに対する損害賠償請求権と自賠責保険への請求権が、人傷社から支払われる保険金111万0181円を限度として、人傷社に移転することを承認した。
エ 人傷社は、平成30年5月30日までに、Xに対して合計111万0181円の保険金を支払った。
オ 人傷社は、その後、本件事故に関し、自賠責保険に対して清算請求を行い、自賠責保険から83万5110円を回収した。
争点及び当事者の主張
⑴ 争点
人傷社がXに対して自賠責保険分を含めて一括払いすることに合意をした場合において、人傷社が自賠責保険から支払いを受けた損害賠償額相当額を、XのYに対する損害賠償請求権の額から控除することができるか。
⑵ Yの主張
ア 骨子
人傷社が自賠責保険から人身傷害保険金として支払った金員を回収している場合には、その金額は、YがXに対して支払うべき金額から控除されるべきである。
イ 理由
本来、自賠責保険は、加害者側の保険であり、人傷社が自賠責保険金を回収していなければ、自賠責保険金は加害者負担部分に填補されるものである。そして、現在の人身傷害補償保険の実務においては、自賠責保険を一括払いするにあたって、人傷社は、被保険者(被害者)に対して、人傷社が支払う人身傷害保険金の中に自賠責保険金が含まれていること、および、自賠責保険金を一括して支払うことを説明したうえで、同人から同意を得て、人傷社が自賠責保険に対して直接請求することについて委任を受ける。したがって、人傷社は、被害者の代理人として自賠責保険金を受領するから、人傷社が自賠責保険金を受領する効果は、被害者に及ぶ。
⑶ Xの主張
ア 骨子
人傷社がYの自賠責保険会社から回収した自賠責保険金は、損益相殺の対象とならない。
イ 理由
人傷社が自賠責保険から回収したか否かという人傷社の事情によって、Xが不利益を受けるのは相当でない。
第1審及び原審の判断
第1審及び原審は、概ねYの主張を相当と考え、人傷社が自賠責保険から回収した金員について、Yの支払うべき賠償額からその全額を控除するという判断を下した。
最高裁の判断(破棄自判)
これに対し、最高裁は、原審を破棄したうえ、以下のように判決した。
⑴ 本件約款によれば、…人身傷害保険金の額は、保険金請求権者が同事故について自賠責保険から損害賠償額の支払いを受けていないときには、上記損害賠償額を考慮することなく所定の基準に従って算定されるものとされている。このことからすれば、…人身傷害保険金について、訴外保険会社が保険金請求権者に対して自賠責保険による損害賠償額の支払い分を含めて一括して支払う旨の合意(以下、「人傷一括払い合意」という。)をした場合であっても、本件のように訴外保険会社が人身傷害保険金として給付義務を負うとされている金額と同額を支払ったにすぎないときには、保険金請求権者としては人身傷害保険金のみが支払われたものと理解するのが通常であり、そこに自賠責保険による損害賠償額の支払い分が含まれているとみるのは、不自然、不合理である。
⑵ 「本件条項によれば、人身傷害保険金を支払った訴外保険会社は、人身傷害保険金の額と被害者の加害者に対する過失相殺後の損害賠償請求権の額との合計額が、被害者について社会通念上妥当であると認められる判決等の基準により算出された過失相殺前の損害額に相当する額を上回るときに限り、その上回る部分に相当する額の範囲で保険金請求権者の賠償義務者等に対する債権を代位取得するものとされている…。」→下記図①の場合
他方で、「人傷一括払い合意により訴外保険会社が支払う金員の中に自賠責保険による損害賠償額の支払い分が含まれるとして、当該支払い分の全額について訴外保険会社が自賠責保険から損害賠償額の支払いを受けることができるものと解すると、…訴外保険会社が、別途、人身傷害保険金を追加払いしない限り、…被害者の損害の填補に不足が生ずることとなり得る(→下記図②の場合)が、このような事態が生ずる解釈は、本件約款が適用される自動車保険契約の当事者の合理的意思に合致しないものというべきである。」
⑶ 「また、本件保険金請求書では、対人賠償保険金の請求において美唄席保険金相当額との一括払いにより保険金を受領した場合には、自賠法に基づく保険金の請求及び受領に関する一切の権限を訴外保険会社に委任するものとされているのに対し、人身傷害保険金を受領した場合には、その額を限度としてXが有していた賠償義務者に対する損害賠償請求権及び自賠法に基づく損害賠償額の支払請求権が訴外保険会社に移転することを確認するものとされており、対人賠償保険金の受領の場合と人身傷害保険金の受領の場合とで異なる説明内容となっている。」そして、「…上記各書面の説明内容は、訴外保険会社が本件代位条項に基づき保険代位することができることについて確認あるいは承認する趣旨のものと解するのが相当であり、Xが訴外保険会社に対して自賠責保険による損害賠償額の支払いの受領権限を委任する趣旨を含むものと解することはできない。」(上記、Yの主張の理由を否定)
⑷ 「本件支払金は、その全額について、本件保険契約に基づく人身傷害保険金として支払われたものといえるから、訴外保険会社は、この支払により保険代位することができる範囲において、自賠責保険に対する請求権を含むXの債権を取得し、これによりXはYに対する損害賠償請求権をその範囲で喪失したものと解すべきであり、その後に訴外保険会社が本件自賠金の支払いを受けたことは、XのYに対する損害賠償請求権の有無及び額に影響を及ぼすものではない。したがって、XのYに対する損害賠償請求権の額から、訴外保険会社が本件支払い金の支払いにより保険代位することができる範囲を超えて本件自賠金に相当する額を控除することはできないというべきである。」
まとめ
本判決は、人傷社が人傷一括払い後に、支払った保険金を自賠責保険から回収した場合に、被害者の損害賠償請求額から当該金額を控除することができるかについて、最高裁が判断を示したものであり、今後の実務において、参考にすべき判例であると考えられる。